降りしきる梅雨の向こうには、まばゆい日差しの夏が待っています。この季節は、涼やかな風を届けるように讃岐の情報をお届けしたい。そこで、日本一のうちわの産地である丸亀市を紹介します。ちなみに、香川県ではうちわのほかに、さぬき市の桐下駄(きりげた)、高松市の保多織(ぼたおり)のゆかたで、すてきな夏の装いをそろえることができます。
新市となった城下町丸亀
丸亀城と塩飽諸島、うちわの町として全国にもその名が知られる丸亀市。藩政時代には長く京極氏によって治められ、情緒豊かな城下町の面影を残しています。昨年の3月には、旧丸亀市と、ニューレオマワールドがある旧綾歌町、讃岐富士と称される飯野山や桃が有名な旧飯山町が合併し、新「丸亀市」としてスタートしました。JR宇多津駅や丸亀駅からコミュニティバスがまちのあちこちを結び、楽しみも多彩になった丸亀市です。
讃岐うちわで四国は涼し
丸亀市は、江戸の昔からうちわの産地として知られていました。今もなお全国シェアの90%を占めるといううちわ王国です。江戸初期までに、すでにうちわづくりが確立していたという丸亀のうちわ。全国にその名が知られるようになったのは寛永10年(1633年)、海の神様「こんぴらさん」で知られる金毘羅大権現の別当、金光院の住職がこんぴら参りのお土産にと、丸金印の渋うちわを考え出しました。また、天明年間(1781年~1788年)には、参勤交代で江戸に上がった丸亀藩士が、屋敷が隣同士であった豊前中津藩(現在の大分県中津市)からうちわづくりを習いました。これが藩士たちの内職としてご城下に広がり、やがて丸亀の地場産業となったのです。
丸亀城のお堀端には、「伊予竹に 土佐紙はりて 阿波ぐれば 讃岐うちわで 四国涼しい」との歌碑があります。愛媛の竹に高知の紙をはって、あおいだら、香川県のうちわで、とても涼しいという意味が込められた俗謡です。
このような歌が歌われるほど、讃岐のうちわは全国に知れ渡っていました。
しかし、時代は移り変わり、扇風機やクーラーの普及で、うちわの役目は激減してしまいました。そこで、時代の風に吹き消されてしまうと危機を感じたうちわ業界の人々が、さまざまな取り組みを始めました。新しい風が吹き始めたうちわのまち丸亀。どんな出会いが待っているのでしょうか。
うちわの港ミュージアム
丸亀うちわをもっと知りたい、お土産にしたいという方におすすめが、丸亀港のすぐ近くにある「うちわの港ミュージアム」。丸亀うちわの歴史を紹介したパネルや貴重な道具を展示してあり、うちわの種類も楽しく学べます。その上、うちわづくりの実演を見ることもできます。ここは丸亀うちわの総合博物館といった施設ですが、入館料はなんと無料。
丸亀うちわの工程は細かく分けると47もあります。その上、うちわづくりは産業として発展してきたので、この工程の最初から最後までこなせる人は、熟練の職人さんの中でも少ないといわれています。そこで、平成9年に国の伝統的工芸品に指定されたことを受けて、後継者育成事業が始まりました。この貴重な技術を継承するための研修には、うちわづくり何十年というベテランの方も応募し、一からうちわづくりを学び直しました。
そして、新しいアイデアも次々と生み出し、ユニークなうちわも登場してきました。それらの製品は、ミュージアムのお土産コーナーにあります。さまざまに工夫を凝らした丸亀うちわ。心そよがす作品に出会えることでしょう。
お問い合わせ:うちわの港ミュージアム
電話0877-24-7055
太助さんと登さん
「うちわの港ミュージアム」からJR丸亀駅の方向に歩いていくと、すぐ近くに港の小公園があり、見上げるばかりの石燈籠があります。これは「太助燈籠(たすけどうろう)」と呼ばれ、江戸時代にこんぴら参りの港町として、大変なにぎわいを見せた名残の燈籠。これを目印に、大勢の人々がこの港に上陸したのです。この大燈籠に最高額の寄進をしたのが江戸の塩原太助さんで、この燈籠は「太助燈籠」と呼ばれるようになりました。
そのかたわらに座る銅像が、丸亀うちわの普及に大変な貢献をした丸亀藩の江戸留守居役、瀬山登。中津藩からうちわづくりを学び、武士の内職として広めたその人です。驚くことにこの人物は、丸亀港の整備も行っていました。この「新堀たんぽ」という港ができたことにより、丸亀港を利用する人が倍増し、その人々がこんぴらさんの土産にと、丸亀のうちわを買い求めていったのです。瀬山さんのおかげで、丸亀うちわは日本一になったのです。
塩飽(しわく)諸島のおいしい魚
現在の丸亀港からは、江戸のころのように本州への船便が多く出ているわけではありません。行き交う船の多くは、瀬戸内海に浮かぶ島々への船便です。塩飽諸島と呼ばれる島々へ、暮らしのための大切な客船やフェリーが発着しています。その島々の中で、最も大きな島が丸亀港から船で35分の本島です。
本島漁協センター
本島の自慢の一つは、水揚げされる瀬戸内海の魚がおいしいこと。そんな本島の海の幸を販売するのが「本島漁協活魚センター」。といっても、このセンターは本島にあるのではなく丸亀港にあります。平成元年にオープンしたこのセンターは、本島の漁師さんたちの店。塩飽の海でとれた新鮮な魚たちが生け簀せましと泳ぎ回っています。
また、腕自慢の料理長さんがその場で料理したお総菜も販売しています。そして、2階を借りきって、本島の新鮮な魚料理を堪能することもできます。こちらは、予約制で一日1組、5名から30名まで。3000円からのお料理で、いろいろとわがままな注文にも応えてくれるそうです。
魚がおいしいのはもちろんですが、ここの魅力は、島の人々の人情にもふれることができること。取材に応えてくれた店長さんは、「おいしい塩飽の魚を食べてもらって、魚嫌いの子を1人でもなくしたい」と、熱く語ってくれました。ここを訪れると、本島にぜひとも渡ってみたくなります。
この生け簀は、子どもたちにも大人気で、目の前ですくった魚を買うことができます。自分ですくい上げた魚を食べて、そのおいしさに魚嫌いが直ったとか。四季折々の魚介類が並びますが、特に夏はヒラメなどの白身の魚やタコが人気。電話での注文も受け付けていますので、新鮮な瀬戸の魚を手に入れたいときはご相談ください。
お問い合わせ:本島漁協活魚センター 0877-23-8998
地元の人にも大人気の活魚料理
次に本島ゆかりの店をもう一軒紹介します。「うちわの港ミュージアム」のすぐ北にある活魚料理の店「一徳」。ここのオーナーは、本島で漁師さんをしていたという地元の魚を知り尽くした人物。その上、今でも自ら漁に出ているのだとか。だから、リーズナブルなお値段で、豪華な活魚料理を提供することができるのだそうです。
店内に入ると、お店の真ん中にはど~んと広い生け簀があり、常時、20~30種、大小200匹の新鮮な旬の魚介類が生けられています。とりたて、おろしたての新鮮な魚貝料理で、味も値段も満足のメニューぞろい。ランチタイムも地元の人々で連日にぎわっています。
夏のおすすめは、ハモや活ダコ。一年を通しての人気メニューは、郷土料理のチヌめし。夜は豪華でお得なおすすめコース料理で3,150円から。写真の料理は4,200円の瀬戸内コース。前菜、先付け、焼き物、煮物、てんぷら、酢の物、チヌめし、お吸い物、豪華な舟盛りといったメニュー内容です。丸亀市では、気軽な食堂、居酒屋、歴史ある料亭と、こうしたおいしい魚料理の店がたくさんあります。ぜひ、瀬戸のごちそうをお楽しみください。
日本一の石垣を見る
丸亀港から南に向かって見上げると、丸亀市のシンボル丸亀城が望めます。こんどは丸亀城に向かいます。丸亀城は、1597年(慶長2年)、讃岐の領主となった生駒親正によって築城されました。1615年の一国一城令で一時廃城となりましたが、やがて藩主となった山崎家が再築、その後京極家の居城となりました。市役所前の道を歩いていけば、お堀の向こうに大手二の門が見えてきます。ここを入れば、すぐに威風堂々とした大手一の門。この大手門や天守は国の重要文化財に指定されています。一の門から進めば、次に見えるのは県指定文化財の御殿表門。
左手に進めば、うちわ工房があり、その横から続く見返り坂を上がると、美しい石垣の姿が見えてきます。この石垣は反り返る様子から「扇の交配」と呼ばれ、日本一美しいといわれています。内堀から天守閣へと4層に重なる石垣は、約60メートルもの高さがあり、この高さも日本一といわれています。
日本一小さな木造天守
坂を登りさらに上に進むと、広々とした二の丸に出ます。この広場には、日本一深いといわれる井戸があります。この井戸や石垣には、築城の陰にあった苦労をしのばせる伝説も伝えられています。
そして、見えてくる丸亀城天守。3層3階の現存する日本一小さな木造天守です。小さいながら、唐破風や千鳥破風といった意匠も美しく、気品のある姿です。入館料200円で、その内部にも入ることができます。(12月25日~2月末までは休館)。見晴らしも素晴らしく、丸亀平野や丸亀市街、港から本島、瀬戸内海も見渡すことができます。殿様になった気分で、ぜひごらんください。
このお城見学の心強い味方が「丸亀城文化財観光案内会」のみなさん。日曜日には大手門の軒下で待機し、城内のボランティアガイドを行ってくれます。名前からも分かるように、文化財保護協会が母体となって発足した会なので、文化財に詳しいメンバーが多く、お城の研究もすすめているそうです。現場でお願いするか、事前の電話予約も受け付けています。
お問い合わせ:丸亀城文化財観光案内会
電話:0877-24-8822
うちわ工房でうちわづくり体験
一の門から左手に向かうとあるのが「うちわ工房竹」。現在、「後継者育成事業」を終了した13名のメンバーが自主的に運営し、うちわづくりの実演も見せてくれます。ここの大きな特長は体験教室があること。うちわの紙はりや骨づくりも体験でき、うちわづくりの真髄にふれることができます。世界でただ一つのマイうちわで、あおぐ風の心地よさ。製作時間は1~2時間弱。うちわの骨に紙をはってから乾くまで30分ほど時間(天候や季節によって変わる)がかかりますので、城内の散策などがおすすめです。帰ってきてから仕上げをして持ち帰ることができます。
この材料費は800円。展示即売もしていますので、優雅なうちわ、かわいいうちわ、ユーモラスなうちわにも出会えます。ここは、観光案内所もかねています。お城の見どころスポットなども教えてもらいましょう。
ひとすじに一貫張(いっかんばり)
丸亀市に伝わる伝統工芸品で、もう一つご紹介したいのが「一貫張」。1200年前に弘法大師が唐の国から柿渋を持ち帰ったことに始まるといわれ、その後帰化人である「飛来一閑(ひらいいっかん)」が和紙を幾重にも貼り固め、表面を柿渋で塗るという現在の手法を伝えたといわれています。丸亀市では、5代目万満庵一貫斎(まんみつあんいっかんさい)こと西谷健さんが県の伝統工芸士の認定を受け、健さんの息子さんである6代目万満庵一貫斎、博樹さんがその技を継承しています。
本来の名前は「飛来一閑」に由来して「一閑張」と書き表しますが、万満庵さんでは、代々こだわりを持って「一貫張」としてきました。ここには、あくまでも伝統の手法を“貫く”という決意が込められているのです。そのために大変な苦労があると博樹さんは語ります。この“貫く”というのは、あくまでも江戸時代の和本にこだわって作りあげるということ。
ところが、当然ながらその和本は、今ではなかなか手に入れることができない貴重な物。お宝ブームなどもあり、大変な高値が付けられるようになってしまいました。その上、その貴重な和紙を、下張り、中張り、仕上げと、どんな小さな物でも60枚もはり重ねて仕上げなくてはなりません。
いつかは、手に入らなくなってしまう和書。博樹さんは、これからの時代に向けて、英字新聞で「一貫張」を作りあげることにも挑戦したいと語ってくれました。
素材は変わることがあったとしても、技法はゆずることができません。その工程がまた大変に手間のかかる物です。秘伝の柿渋を塗っては乾かしという工程を数十回、百回とくりかえし仕上げていきます。ひたすらハケで塗っては陰干しをくりかえす根気の要る作業。「一貫張」は、竹で編んだカゴや皿に和紙をはり、柿渋を塗り重ねて仕上げる伝統工芸品。大切に使えば、何世代にも渡って使い込める品物です。その素朴でシックな風合いは、現在の暮らしの中でもさりげなくマッチします。一度は、手に取っていただきたい「一貫張」です。
お問い合わせ:電話 宗家一貫張本舗(西谷 博樹)
電話090-1176-9962
地産地消のうどん店
最後は讃岐ならではのうどん店をご紹介します。「さぬきの夢2000こだわり店」に認証されている中津町の「寿美屋(すみや)」さん。「さぬきの夢2000こだわり店」とは、香川県が讃岐うどんのために育成したオリジナル小麦「さぬきの夢2000」を使ったうどんを、年間を通じて提供するこだわりのうどん店のことです。2006年6月現在、このこだわり店は県内に7軒あります。
ここは小麦粉だけではなく、いろいろな地元の素材にこだわっていて、店内に産直ショップのコーナーもあり、「かがわ地産地消協力店」ともなっています。地元の野菜を使ったうどんのメニューも多く、アスパラカレーうどんやトマトカレーうどん、冬には讃岐の郷土料理に登場するマンバを使った百華うどんも登場します。予約をすれば、なんと隣町多度津の名産ミニトマトのおでんも用意してくれます。もちろん麺そのもののおいしさにも定評があり、これからの季節、さわやかに麺を味わうのにおすすめのメニューが「梅にんにくうどん」。においの心配がないニンニクを使っていますので、お昼にも気軽に食べることができます。お酢やしょう油も香川県のものにこだわり、まさに地産地消のここでしか食べられない讃岐うどんが味わえる「寿美屋」です。
お問い合わせ:寿美屋
電話 0877-22-4320
丸亀市には、ほかにもJR駅前にある地元出身の洋画家猪熊弦一郎先生の美術館や、庭園と美術館が有名な万象園など、まだまだ紹介したいところがあります。この夏、うちわ片手に散策していただきたい丸亀市です。
丸亀市の観光 問い合わせ:丸亀市観光協会 電話 0877-24-8816